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熊本地震から8年 令和6年能登半島地震から3ヶ月半

今日で熊本地震発生から8年が経ちました。

4月14日の前震、4月16日の本震と2度の大きな揺れに遭った熊本は、現在 南阿蘇鉄道が全線再開し、阿蘇神社の楼門復旧、2023年3月には仮設住宅の提供終了など、基本的には生活の復旧は成し得た形と言えると思います。


8年の歳月が長かったのか短かったのか、新型肺炎改め コロナの期間が記憶を混乱させるのと、今年元日に起こってしまった令和6年能登半島地震のインパクトとで、いまいちどちらとも言えないというのが正直なところです。


先週4月10日と11日に輪島市へ伺い、地震から3ヶ月経った現状を見てきました。

金沢駅から輪島への往路、のと里山海道を通って穴水町の手前あたりから急に道が悪くなり、輪島へ向かう車線しか車が走行していないことに気が付きます。復路は徳田大津インターチェンジまで一般道を通ってのと里山海道に乗り金沢へ戻る状態でした。


昼に輪島市へ到着し、まずはお世話になった蔦屋漆器店の大工さんを訪ねました。

当初は電気も水も無く、大変な生活をされている事をSNSを通じて拝見しており、地震から2ヶ月ほど経ってから大工さんが東京へいらっしゃった際にお話を伺い、ぜひ現状を見て欲しいですとおっしゃったのを機に今回の輪島訪問を決心しました。


蔦屋漆器店さんを出てひとり歩いて以前何度も訪れた十蔵神社近辺へ向かうと、工房長屋からは炊き出しの匂いが漂っていて、人々の復興の気配が感じられました。炊き出しを行っていらっしゃる池端さんに「ありがとうございます。朝市を見ていってください」と促され、朝市方面へ足を向けました。


道中、倒壊している家屋やお店が多々見受けられ、熊本地震の際にボランティアへ伺った阿蘇や益城町の景色を思い出しました。そして火災が起こったエリアが見えてくると、それはこれまでに見た東日本大震災とも熊本地震とも違った光景がありました。これほどの規模の火災を見たのは人生で初めてで、3ヶ月前に焼けた痕がそのまま残っている状態に心が痛み、脳の活動がストップした感覚になりました。

輪島市に行く前に復興が進んでいないことは聞いていましたが、これほどに進んでいないとは思いもせず、復興の目処の話どころではなく、どこから手を付けるべきかもわからないのだろうと感じました。


これまでに東北と熊本の地震後ボランティアに行きましたが、輪島市の復興に向かうエネルギーが他の地震の時とは明らかに小さいように感じられました。

外からの復興のエネルギーというのはどうしても時間が経つにつれ縮小していくものです。

なので内側から起こるエネルギーが復興のキーだと思うのですが、まだまだインフラの整備すら進みきっていない状況で人々の生活自体が危ぶまれています。


まだ震災から3ヶ月半しか経っていません。

まだまだ支援の力が必要な時です。

我々も微力ですが輪島塗に従事する皆様が、これからもお仕事を続けていけるよう支援活動を続けてまいりたいと思います。






*写真は山鹿チャリティー喫茶会で集まった義援金を蔦屋漆器店さんへ預けた時のもの

 左:蔦屋漆器店 大工さん  右:KURP代表 太田黒


2024年2月25日に行った 山鹿チャリティー茶会で集まった義援金

138,682円を蔦屋漆器店 大工さんを通じて、輪島漆器青年会さんへお渡しいただき、

震災で困っていらっしゃる職人さんを支援する活動に使っていただきます。

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